負けることを肯定する
どうも、ブラックジャックファンのノッキーです。
最近は仕事が忙しくて、なかなか趣味の方に時間がとれない状況なんです。
まあ、今までたくさんの検証をしてきたので、ネタが尽きたのかもしれません。
それか、検証以外に大切なことを見落としているのかもしれません。
それは、メンタルトレーニングじゃないでしょうか?
実際の勝負ではお金を賭けるわけですから、強いメンタルが必要です。
検証結果から16ヒットが好ましいって分かっているのに、ベット額が大きいから迷うっていうのはダメですね。
ベット額の大小によらず、自分が決めたルールに従うべきだと思います。
後悔のない勝負を望むのなら。
それで、基軸として構えておくべきことは、負けを肯定することなんじゃないかと思ったのです。
誰しも、負けは否定したいもの。
そこに盲点があるように思いませんか?
人には恐怖感という感情があります。
ここでは、負けという恐怖の感情がテーマとなります。
「16かぁ~。ヒットするルールだけど・・・。500ドルも賭けているなあ。ついてないわ。日本円だといくらだろう?50000円前後か~。負けたらもったいないなあ。何回飲みにいけることか・・・。」何て、ネガティブな発想がどんどん膨らんで、恐怖感が心を支配してしまいます。
ここで、負けという恐怖を無くす、あるいは、軽減するためには、前もってメンタルのトレーニングをする必要があるように思います。
心の準備無くして、急に恐怖を払うことはかなり困難でしょうから。
では、どんな準備をするべきなんでしょうか?
それは、視点を大きく持つことだと思います。
「今回は不利な状況だっただけ。次は500ドル賭けてブラックジャックのかもしれない。」のように、たった1回の勝負のこだわりをなくし、10回、いや100回単位での勝負を1セットだと考えるのです。
自分が納得のいくルールで勝負するという前提ですから、このような考え方は本来できるはずです。
そうでなければ、ルールが不完全だということなんでしょうね。
僕が具体的に決めているルールの1つは、ディーラーのアップカードが10のときにイレブンでのダブルはパスすることです。
自分の検証結果から得た数字を信じて、そう決めました。
何かを信じなければ、思い切った勝負ができないって思いませんか?
仮に、イレブンダブルをするべきだったと周りの誰かが言ってきたとしましょう。
そんなときは、表面的にその人の発言を肯定しつつも、心の中では自分の選択を肯定する。
また、別の場面で、16でのヒットでバーストして500ドル失ったとしても、たかが1回の勝負だって割り切るつもりです。
500時間命が短くなったわけではありません。
これなら、深刻でしょうね。
とにかく、1回や2回は負けてもOK。
まあ、5回くらい連続で負けても仕方ないでしょうね。
ルーレットの赤・黒でもどちらかの色に偏るときは半端ないですから。
ただ、負けることを肯定することばかりになるのは困りものです。
それを避けるためには、ギャンブルするばかりでなく、他の人のプレーを鑑賞したり、食事や飲酒をしたり、ライブを見たりとか、カジノでするいろいろなことを決めておいた方がいいですね。
来年の3月に本番に行くつもりです。
あと半年、準備期間があります。
結果は、もちろん、このブログに残します。
勝った報告か、負けた報告か、いずれにしても、楽しく残そうと思っています。
本日は以上です。
読んでいただき、ありがとうございます。